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書評 - 幕末入門

必ずしも正しい方が勝つとは限らない。これを信条とするのはあまりに寂しいけれども、やはり心のどこかには留めておかないと負けてしまうかもしれない。

幕末入門 (中公文庫)

幕末入門 (中公文庫)

会津藩」「新撰組」「長州藩」「薩摩藩」「土佐藩」に1章ずつが割り当てられていて、それぞれの立場から幕末を眺める解説本。自分に課した夏休みの課題図書としてはなかなかよく、個人的には大政奉還が平和的革命というアイデアだったのにも関わらず、なぜ武力討幕による暴力革命になってしまったのかがよく理解できた。

せっかくなので頭を整理しておくと、元々は公武合体派の薩摩藩がいつのまにか討幕に方針を変えたのは

  • 薩英戦争でボロボロに負けてむしろ外国を認めるようになった。
  • 第一次長州征伐の後の幕府のバカな主張(この期に及んで長州藩を小藩に格下げする)に愛想をつかせた。
  • 西郷隆盛勝海舟から雄藩連合による新政府案を聞かされて目から鱗がおちた。

あたり。一方薩摩よりもずっと幕府寄りのはずだった土佐藩については

  • 竜馬の新政府綱領八策では徳川慶喜を新政府のメンバーに入れる考えだった。
  • 竜馬は殺されたが薩摩藩主の山内容堂も同じ考えだった。
  • しかし小御所会議で容堂が失言し、岩倉具視が揚げ足をさらい慶喜招くという案はつぶされた。

次がそのセリフ。

恐らくは是れ幼冲の天子を擁し奉りて、政権をほ擅ままにせんとの嫌いあらん

Wikipedia にもそのいきさつが書いてあった。

岩倉がこれを「大失言であるぞ。天子を捉まえて小僧なりといい、小僧を騙して云々とは何事か。土州、土州、返答せよ」と反論をし、会議は紛糾。一旦休となり、外に控える西郷隆盛大久保利通らが容堂と刺し違える覚悟との話を聞き、その後は沈黙。会議は親政・倒幕強行派のペースで進んだ。

慶応4年(1868年)に始まった戊辰戦争には土佐藩兵は加わらないよう厳命したが藩指揮官・板垣退助はこれに従わず新政府軍に従軍した。
山内容堂 - Wikipedia

正しいものが必ずしも勝つわけではない。本書の著者も言っているが西郷隆盛が太っ腹の英雄という単純なイメージは間違っているし、岩倉具視が500円札に載るほどの正義だったとは言いがたい。古い幕府体制はいずれにしても限界だったかもしれないが、幕府から見ればちゃんと大政奉還したのに話が違うじゃないかという話。表裏があるのは何も歴史だけではないが。

正しいかどうかに関わらず強いものは多少誤っても一回や二回は勝ってしまう。後になって結果的にどちらが正しかったのかということは簡単で、実際にその状況で正しい判断をするというのは難しい。しかし強いものはその辺をちゃんと考えておかなければならない。強者の責任だと思う。