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書評 - 脳と仮想

脳と仮想 (新潮文庫)

脳と仮想 (新潮文庫)

茂木さんの著書やテレビ番組を見ていつも思うのはものの見方が本当に素晴らしいこと。そして引き出しの数がすごいこと。この本も「仮想」「意識」というキーワードから展開された様々な話が独自の視点で展開されている。日を改めてまた読んでみれば、そのときの自分の置かれている状によって随分捉え方が変わる本だと思う。

そういう意味で今の私が一番惹きつけられた箇所はここ。

たとえば、「長嶋茂雄っぽい感じ」も私たちの心の中で、一つのクオリアとして感じられており、その意味ではプラトン的世界の住人である。「長嶋茂雄っぽい感じ」は、昭和の日本において多くの人の脳の中で神経細胞の活動の相互関係として現実化した。しかし、潜在的には、「長嶋茂雄っぽい感じ」は、宇宙の開闢以来百億年余りの間、プラトン的世界の住人としてずっと存在し続けてきたのだと言える。
(中略)
長島茂雄が野球をやらなかったら、巨人に入らなかったら、あるいは、長島の人生の岐路で何か別のことが起こっていたら、「長島茂雄っぽい感じ」は、宇宙の歴史の中で、永遠に現実化されなかったかもしれない。

メーカーに勤める私にとって、これこそがまさに商品開発であると思った。物に溢れ、情報に溺れるこの世の中で、いまさら新しいものって何なのか。先の CES のレポート で中国メーカーのテレビを見て思ったことではないが、既に活躍しているイチローや松坂をいくら作ってももう中国には勝てない。トルネードだろうが振り子だろうが常識にとらわれず、すごいやつを探し出すことが商品開発である。もちろん存在は無限ではあるけれど残っているのは人間がこれまで見つけ出せていないものなのだから、確かに見つけにくくはなっている。でもキャッチャーを見ないで投げる岡島がレッドソックスで活躍するのを誰が予想しただろうか。

実は以前、あるイベントで茂木さんと直接お話したことがある。茂木さんが研究テーマにしている「偶有性」についてのパネルセッションだったが、一つ現実的な路線で、偶有性をビジネスに結びつけて考えたとき「売れる商品って何か」という質問をしてみた。茂木さん曰く、

「意外だけれど使っていると心地よいもの。それは売れる」

iPod しかり、ニンテンドーDS しかり。意外だけれど心地よいものとは、物の本質を掴んでいるものである。ただ何らかの理由でまだ人間が見つけていないだけ。気づいていないだけのクオリアを気づかせる助けをすること。それが真のものづくりだと思う。

最後に、ものの見方という点で本に書かれていた箇所を引用しておく。ちょっと長いが、そのうちもう一度ブログで参照するような気がするので。

この世の中に陳腐なものが存在しているのではない。陳腐なものの見方があるだけである。そして陳腐なものの見方から脱出するための跳躍台は、それが生成された瞬間の生命の躍動(エラン・ヴィタール)の中にある。
(中略)
その存在にすっかり慣れてしまい、もやは日常のものになってしまい、誰もが軽んじ、バカにするもの、そのような、一見陳腐なものほど、その生成の瞬間に立ち返ってみる価値がある。「テレビ」という、今日では陳腐に見える表象も、またそうである。「テレビ」は、ある機能を持った物質的存在であるだけではない。それは、私たちの心の中で、ある特定の存在感を持ち、あるユニークなクオリアを放射し続けている一つの仮想でもある。その本質をとらえるためには、その誕生の時に立ち返ってそこにある躍動を受け止める必要がある。