Schi Heil と叫ぶために

hiroakiuno's blog

プロジェクトの過疎化

都会化の次は過疎化だったという話。

プロジェクトが田舎から都会に変わった時、求められたのは人口の多い都会に合った効率化だった。業務を細分化し、責務を明確化し、決められたプロセスに則って事を進める。近所の人はみんな顔見知りだった田舎とは異なり、都会プロジェクトでは不特定多数の人と業務を進める必要がある。であれば都会にあったやり方があるはずということで、それが都会化プロジェクトの本質だったはず。

競争力強化のため人員コストを削減する。それは仕方ない。ただ制度を都会に最適化したまま、そのまま人だけを減らせば、そこに待っているのは過疎化である。人が潤沢にいることを前提とした制度なのに人がいなければ回るわけがない。一人で三つも四つもできない。確かに都会ではタオル係と布団係は別だった。別だからこそ布団を干す人はタオルを洗うのにどれだけ時間がかかるのは知る必要はなかった。でも一人の人が両方やるのであれば話は別だ。

プロジェクトの規模をキープしたまま人を減らすには解決策は二つしかない。一つは制度を人数に見合ったものに修正する必要がある。一人なら洗濯係とすべきなのだ。洗濯機を回しているうちに布団を先に干すよう個人はやり方を工夫し、リーダーもそれを前提として作戦を立てなければならない。それをさぼって、タオルも布団もよろしくね、それぞれ終わったら報告してねではやりきれない。そしてもう一つはチームワークだ。人が減って何を増やせるかと言ったらチームワーク以外にありえない。

歴史を振り返っても、人が減った都会に必要なのは温かい街づくりだと気づかなければ、間違いなくスラム化してしまう。