Schi Heil と叫ぶために

hiroakiuno's blog

フューチャリスト宣言

二人の宣言を受けて我々一般人は何をすべきなのか。しばらく考えてみた。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)


実は読書としてこの春に何を読もうか考えるにあたり、「進化しすぎた脳」、「考える脳 考えるコンピューター 」と合わせて勝手に脳三部作と名づけていた。その三作目。この本の内容は脳の話だけにとどまらないが、脳に限っても三部作は順に、神経科学からのアプローチ、AIからのアプローチ、そしてネットと脳の専門家による対談、と続けて読むとその対比が面白い。またいずれの著者も将来に対して明るい期待を抱いている点も興味深い。

まず印象に残ったのが脳とネットが似ているという話。

脳科学、神経経済学を研究している立場からいうと、脳とインターネットの関係は大変おもしろいテーマです。インターネットの世界は、私の言葉でいう「偶有性」、つまり、ある事象が半ば偶然に半ば必然的に起こるという不確実な性質に充ち満ちています。

茂木さん曰く、スモールワールド・ネットワーク性という点で見ると脳とネットはそっくりということだ。知能を扱う研究には大きく、脳を直接対象とする生物学的なアプローチと AI のような工学的なアプローチがある。従来の AI 的な方法論では機械に知能を持たせることができない、というのは「考える脳 考えるコンピューター」の中でホーキンスが何度も主張していたことだが、ネットと脳が似ているのならばネットを理解することはそのまま脳を理解することにつながると言える。両者の接点としてのインターネット。逆に、知能を人工的に創ることを考えたとき、巨大なネット空間はそのまま脳として利用できるということになる。既にネットをロボットの脳とする研究があったと思うがそういう意味では単なる方法論にとどまらないのかもしれない。

また三部作の比較で面白かったのが、池谷さんと茂木さんという二人の脳科学者がどちらも「セレンディピティ」という言葉を使っていた点だ。この本の中では目立たない部分であるが、あまり聞きなれない言葉だったので印象に残った。

ネットは、セレンディピティ(偶然の出会い)を促進するエンジンでもあると思う。もちろん、本屋でたまたま立ち読みしていて思いがけなず何かに出会うということもあるけれど、インターネットはセレンディピティのダイナミクスを加速している。紙媒体はゆっくりなのに対して、ウェブははるかに高速です。
フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

アイディア?…それは思いつくんだよね、あるときふと、科学者になるとね(笑)。
でも、その質問はいいポイントで、セレンディピティーって言うんだけど、うーん、語りはじめると長くなっちゃうから、ちょっと保留。
進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)

セレンディピティとは「何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉(セレンディピティ - Wikipedia)」だそうで、ネットはそのダイナミクスを加速していると。科学の分野では思いがけない偶然大きな発見につながることが少なくないが、偶然からモノを見つけ出すには単に偶然の機会を増やすだけではなく発見の芽に気づく能力が必要なわけで、これも創造性は訓練によって高められるというホーキンスの話につながる。三部作万歳。

ところでこの本のタイトルであるフューチャリストとは何か。

フューチャリストとは、専門領域を超えた学際的な広い視点から未来を考え抜き、未来のビジョンを提示する者のことである。

未来に対して非常に楽観的な二人の話は我々に元気を与えてくれる。一方で同時に自分の中で閉塞感が増したのも事実である。この気持ちは私に限ったことではないのではないかと思う。例えば Google が新たなサービスをどんどん提供する。技術書を読めば新しい手法がどんどん生まれている。それを実践しているベンチャー企業の例がニュースで流れる。やれオープンソースだの Web2.0 だの興味をもって学べば学ぶほど、ふと現実に戻ったときに閉塞感を感じる。組織に属しているという考えが古いという意味も理解できる。でも実際問題どうすればよいのか。

本を読み終わってからしばらく時間を置いてみた…。

で、たいした結論ではないが一つたどり着いたのが「どちらも楽しむ」ということ。目盛を平均値に収束させるのではなく、挑戦的なことと保守的なことを二つともやればよい。茂木さんの言葉を借りればチョイスの問題でこの本のキーワードでもある偶有性とも言えるのではないか。中庸ではなくもちろん中途半端でもなく偶有性を楽しむ。

次の問題はそれを自分の立場に噛み砕いたとき、リアルの世界(例えば会社)でどちらもやるのか、ネットの世界(例えば家に帰って)とで分けるのかという配分であるが、それについてはどちらが楽しいのかという指標で探っていこうと思う。

ネットが人間の脳に対して、何でそんなに相転移的に働くのか、ということについて考えていくと、一つのビジョンが見えてくる。それは、われわれの脳自体が、まさにウィズダム・オブ・クラウズだということです。
(中略)
ただ、ブログやメーリングリストとスカイプなんかを使いまくると、しかも記録して、コメントして、トラックバックできるようになると、脳同士のインタラクションが、いままでとは比べ物にならないくらいの複雑なネットワークを織り成すようになるんですね。そこで生まれてくるウィズダムというものが、人類を次のステージに連れて行く。

人類が次のステージに進むには、我々一般人も微力ながらこのフューチャリスト同盟に賛同していくことだろう。一般人らしく身近なことからこつこつと進めていくのが良いのではないだろうか。