去年 Google が Android を発表したとき、中島さんのブログ や あんな記事 や こんな記事 のように、この作品と Google の Android をかけて何と解くみたいな記事をちょくちょく見かけた。作品を知らない私としてはネタのポイントが分からずちょっと悔しかった。
そんな変わったきっかけで手に取ったこの作品だが、なんと初版発行はケータイ登場どころか私が生まれる前の1977年3月。しかしながら内容は古さを感じさせず、人間とアンドロイドの対比で「人間らしいとは何か?」を問うちょっと哲学的な SF 小説。映画化もされており、聞くところによるとSF小説の傑作のひとつにも数えられているらしい。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
- 作者: フィリップ・K・ディック,カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン),浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1977/03/01
- メディア: 文庫
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著者はこの物語を通して、人間性とアンドロイド性との違いを感情移入だとしている。「人間」と「アンドロイド」の違いではなく、あくまで「人間らしさ」と「アンドロイドらしさ」の違い。「人間らしいアンドロイド」と「非人間的な人間」の対比が物語のテーマでもある。
タイトルの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は強烈なインパクトを持つ問いかけなので様々な解釈がありそうだが、たとえばロボット工学的な立場から「人間のように夢を見るようなロボットを作ることは可能か」という風にも取れるし、本書を一読した後では「人間に恋したアンドロイドはせめて電気羊となってそばに居たいと思っているのかもしれない」という風にも取れる。
以上を踏まえて、Google の Android は何の夢を見るのだろうか。打倒 iphone というようなモバイルに限定した夢ではなく、それこそ電気羊にまで至るすべての機器(家電)に搭載されることを夢見ているような気がする。
Windows の例があるので、将来我々エンジニアはみんな Android 上で開発しているという可能性もゼロではないと思うが、その時作っているのは単なる電気羊だろうか、それとも人間らしい電気羊なんだろうか。